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執筆者の写真5bookj

別府のこと



令和3年12月29日、あいにくと天気は雨だった。

夜寝れないので、午前三時ころタバコを吸う。朝方まで別府へ行こうか、知覧へ行こうかと考えていたが、結局決まらず、なんとなく壇ノ浦で朝日でもロマンチックに眺めようと決めて窓の外をもう一度じっくり見たが、朝日も出ないくらいの雲が立ち込めており、これではだめだとあきらめた。

 チェックアウトは午前10時まで、カードキーと暗証番号を書いたカードを一回のカウンターに置いてあとは出るだけである。とりあえず荷物をまとめて、車で考えようと決める。

今日はもう帰ろうか。しかし、ここまで車で来て帰るのはもったいない。知覧へ行って帰りがけに別府で遊ぼうか、それとも先に別府か。タバコをまた一本ふかして考えた末、別府の温泉につかり帰ろうかと考える。旅に温泉はつきものだ。

 車でカーナビをいじりながら、別府まで130キロ。午前10時くらいにはつけるだろうと、発進させる。市街地をぬけて高速道路へ、乗ってすぐに関門橋を渡る。今日は調子がいい。私は山口から福岡県へと向かい。下関を後にした。



山と山林に囲まれる高速道路を走り抜け、右手に大平山が見えてくる。見事な山である。高速道路のインターを降りて、私は早速温泉へ向かう。さて、どこの温泉に、とりあえず昔ながらの古い温泉で気分を味わいたい。ネットで知らべていた温泉、湯都ピア浜協へいく。

湯都ピアは市営の温泉で市役所みたいなところの地下にある温泉である。某サイトでは元祖と書いてあったのだが、調べてみると平成3年にオープンしているらしい。そこはともかく車を止めてさっそく入浴である。タオルは一枚。あとは体のみ。私は受付に向かう。入浴料はおいくらかというとなんと200円。安い。どんな温泉かと楽しみにして男風呂の暖簾をくぐる。ちなみに湯都ピア浜協はヨーロッパのクアハウスをモデルとしており、温泉医学と運動生理学に基づいて健康管理を目的として作られている市営の温泉である。

 私が地元で通っている温泉は脱衣所と浴室が別々なのだが、そこは一体となっており、建物の見た目からは新しい健康ランドのようなものだろうと予想していたが、脱衣所から地下へと降りたところにある浴槽はなんだか不思議な感覚に陥る。早速すっぽんぽんになってタオルをひっさげ入浴である。うん、熱い。別府の温泉とはこんなに熱いのか。私は勘違いかもしれないと思い、周囲の入浴客を見回したが、平気でこの熱風呂に入っている。そうかここは九州、温泉地別府。やはりちがうのか。私は二つある浴槽のうち、熱いほうから足を抜くと、もう一つのほうへと足を入れた。うん、ここは大丈夫だ。

 私は何件か梯子をする予定であったため、あまり長湯はしないと決めていた。それなりに湯を楽しんだ。しかし、その間にもこの湯はぬるいと言おうとするかのように、私の浸かっている浴槽から熱湯の風呂へと移っていく。しかも水を足しているのだが、しまいには水をとめてしまい浴槽内のお湯も熱くなってくる。ここは別府、やはり違うのか? 九州人は熱風呂好きなのか?

 二件目であるが、ここは古くからある竹瓦温泉である。明治12年1879年創業で、建てられた外見はどこかの映画から出てきたような風貌で、写真でみるより大きな和風建築である。外見を見ただけですばらしい。と感じた私は新調したカメラでさっそく撮影。必ずやこの写真は出して見せると思いながら中へと入る。

 中は思った通りのレトロな和風な作りで、床と天井が何かを感じさせる。私は300円を払い。早速ここでもすっぽんぽんになるため、浴槽へと向かう。私は左側の引き戸を開け、中を見回す。天井が高い。映画「千と千鶴の神隠し」 にでてきそうな感じだ。

 私は浴槽と脱衣所が一体になった場で服を脱ぎ、さっそく入浴。しかし何かおかしい。浴槽には上がり湯とかいてある。しかし、いい湯。しかし何かおかしい。もう一つ引き戸があるので覗いてみると、そこには砂湯があった。係員さんに聞いたところ、ここは砂湯。浴室は別にあるという。私はまた服を着て、その浴室へ。おお。なるほどネットで出ていた写真通りの光景が広がっていた。

 さっそくすっぽんぽんになり、浴槽へ。市営の温泉だけに作りはシンプルで、脱衣所と浴槽があるだけで、シャワーなどはない。みんな風呂のすぐ横で桶を使い、湯をかぶっては洗い入浴している。ここも味わい深い温泉であった。中はさすがに写真はとらなかった。

 



私は竹瓦温泉を後にし、食事をとろうと考え、豊後牛を食したいと考えた。結局は黒毛和牛になったが、近所をふらふらと散歩。神社でお参り。くじを引いて大吉であった。恋愛成就。待ち人きたり。いいこと書き放題である。そして竹瓦温泉の近くは別府の風俗街でもある。私はすこし見て回ったが、閉店している店もあり、少ししなびてるのかなと思った。女性と男性の盛り場が廃るというのは少し町の力が落ちているのかとも思えた。何かの本の入地知恵だが。ちなみに豊後牛を食べれる店はたくさんあるので、ネット等で調べてみればおいしい店が見つかるだろう。

 三件目、私は鬼石の湯へと向かう。ここは地獄めぐりで有名なかま湯などがあるところで、温泉に入る前に赤い湯と青い源泉を見て回る。残念なのは温泉プリンを食べれなかったことである。また別府には来たいので今度食べてみよう。おいしそうだ。


 鬼石の湯はまだ新しい温泉で、きれいな内装となっており、お湯につかった後は肌がつるつるとしていた。私は木製の湯船につかりながら幸せな気分に浸り、世の中などどうでもいいと思いながらただただ温泉天国別府につかるのだった。

 あとはのんびりと家路についた。ついたのは夜11時だったが、一角の寂しさを感じ、別府へ帰りたいと思った。とても静かな夜だった。


しかし、最近ごはん党の主旨に外れているようだが、温泉がもたらす恵みにより人々はおいしいものでさらにもてなそうとする。うまい飯と豊かな温泉。そしてそこからできるプリンなど、どこでも食べ物は売られ、おいしくいただける。関係ないようだが、意外と関係ある。ようはなんでもありなのだ。と言いたい。さて今度こそ戦時中のごはんの大事さについて考えてみよう。大人から子供まで一度は教えられている戦争の歴史と人の生活。別に私が書かなくてもいいのだが、主旨を通すため稚拙ながら書いてみるつもりである。それもまたいつになるやら。


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