令和3年1月12日水曜日
奈義町と湯の郷のこと
朝、夜寝れなかったため遅めに起きる。今日はどうしようかと思いながら、昨晩考えていた奈義町現代美術館へ行くことにする。奈義町まではおおよそ1時間半程度だから、特段考えることもなく、朝のごはんを食べて、着替え、車に乗ってカーナビに目的地を登録。あとは走らせるだけであった。いつも行く温泉のあたりまでは道は同じだから特に考えることもなく、天気がいいので青空と山並みを眺めながら快適にドライブ。音楽を聴きながら気持ちよくいく。田舎の風景がなんとなくのほほんとさせてくれ、最近いいことないなということばかりなのでなんだかほっとする。目的地の奈義町現代美術館は最近できた場所で、ネットのサイトなどでは結構売りだし中の場所だったりする。それにほかにもどこか行かないといけないなと思い、調べてみると法然上人ゆかりのちであったりして、菩提寺があるという。菩提寺には法然上人が植えたとされる樹齢900年の大イチョウがあるという。私はこれはみにいかんくてはと思い、今日は行こうと思った。法然上人の誕生地の誕生寺は以前いったことがあるので、実際修行に入った菩提寺を訪れるのは初めてである。
そんなわけでひたすら車を走らせ、考えていなかった案が浮上する。通り掛けに湯の郷温泉が見えてしまったのである。今は奈義へ、温泉はそのあとだと心に決める。
湯の郷を過ぎて、そろそろ奈義町へ入るころ合いかと思い始めたとき、雪がパラパラと降り始めた。遠くのほうへ見える山の上がなんだか雪が降りそうな感じで大丈夫かなとおもってはいたのだが、案の定雪が降り始める。最初はまだダイジョブだろうと思っていたが、進むにつれてだんだん怪しくなる。電光掲示板には雪用タイヤ装着の文字。しかし、私はまだ行けるだろうと進み続けた。そうして奈義町の中心部にくるにあたり、これはもうまずいと気づいたときには周りは雪化粧である。今は冬。県北や日本海側にはあまりちかよらいないようにと思っていたが、奈義町は大丈夫だろうという楽観的な考えがまずいことにつながる。美術館まで来て、これは菩提寺にはいけないのではないだろうかと思い立ち、まだ雪も降り始め、急げば大丈夫だろうと思い、美術館を後にして先に寺と大イチョウを見に行くことにした。みちなりにすすでいくとメインストリートと思われる道から外れており、進めば進むほど雪が積もっていく。実際対向車は皆無である。まだいけるまだいけると適当な感覚で進んでいくのだが、道路がまったく雪で見えなくなるころには、さすがにまずいなと思い、今回はやめておこうとあきらめてしまった。
引き返すがてら、とりあえず美術館に行こうと進んでいく。
奈義町現代美術館に入る。さきほど橇で遊んでいた子供らはもういないらしい。
奈義町現代美術館は建築家の磯崎新がプロヂュースした建築と作品が半永久的に一体化した世界初の常設型美術館らしい。私は下調べもなにもしていないので、あとでそのことを知ったのだが、受付でお姉さんに入館料を払いいざ見学である。
まず、一番最初の展示である大地というタイトルのオブジェであるが、ドアを開けて入るとすぐに不思議な感覚に陥った。なにか雰囲気が違うのである。鉄の棒が流線形に地面に刺されているのであるが、その下に石が敷かれており、水が張られている。冬ということもあり、氷が張っていた。すこし立ち止まり、空気感を味わう。オブジェの感じというのか、そこから吹き抜けになっている空の青がなんだかしっくりくるのである。もちろん雪が降っていたが、私がいたときにはすこしだけ空が青かったところがあった。その並んだオブジェに降り続ける雪がまた何かいろいろと考えさせてくれたのかもしれない。大地というタイトルであることがよくはわからないが何となく理解できたような気がする。パンフレットにはゲーテの詩が載せられており、どうやら詩的なセンスであるということはあとで知ったことである。
それから次の展示へ、こんどは龍安寺をモチーフにした建築デザインの絵が並んでおり、ほうほうと見ながら、へえ、龍安寺かとなんとなく思う。デザインは宮脇愛子氏で、デザインも見ていたのだが、なんとなく線で描いた絵がなにかいい感じだなと思った。そこから太陽の展示へと行く。螺旋階段を上っていくのだが、その階段があるところに奈義町民の写真が無数に張られている。トラさんの映画ロケ地になったときの思い出の写真や、地元の人の顔が並ぶ。それを見回してから階段を上り、太陽の間へ。
ここもまた入ると不思議な感覚に陥る。壁面に枯山水のオブジェが並んでおり迫ってくるというよりも私は包み込まれているという風に感じたのだが、そこは千差万別であろう。女の子たちがキャッキャッと写真を撮っていたのだが、その彼女たちが去った後私は一人ベンチに座り、部屋の空気感をなんとなく感じていた。とても落ち着くのである。そして最後に月の展示室へ。ここは歩くと音が響く仕掛けで、その音だけが不思議にこだまする。私は一人だったから、なおのことその響きがなんだか不思議に感じられる。個人的には月面の世界はこんな感じかなと想像させるような気がしたけど。そこでも少しの間一人座ってのほほんとぼんやりしていた。個人的にはとても落ち着く空間であったと感じられた。
常設展示を体感したあとに、井出豊さんの映像作品を見ていた。ひたすら葉っぱや昆虫の映像が続く作品で、これもまたよく見ると何か感じるところがあるなと思われる。こまったことに昔に比べてなにか感じたことを表現する言葉が見つからない。そんなものかなと思う。
美術館は面白かったのであるが、その後少し静かな気分になり、車の音楽も止めてしまった。そんな気分である。
さて、そこから先ほどトライした菩提寺へと再び向かうかと考えていたが、山に向かうのは危険であると思い、ふもとの阿弥陀堂の大イチョウなら見れるのではないかと思い、また車を走らせる。途中ピザ屋が目に入るが、今はダイエット中であるから今日はお預けと阿弥陀堂へ向かう。対向車に自衛隊の車列が入り、そういえば基地があったなと思い出す。
トンネルを抜けると阿弥陀堂の大イチョウがあるはずだが、抜けた矢先にさらに積雪が激しくなる。国道からあれかなと思い、見ていたが、そこまで車で行くことは不可能そうである。しかし、私は行くのであると決めて、途中の道に車を止めて、阿弥陀堂へ歩いて向かった。誰の足あともついていないので少しうれしくなる。しかし、冷たい雪はどんどん降り続ける。阿弥陀堂の大イチョウは法然上人が菩提寺へ上るときにそのイチョウの木の枝を杖にして山を登ったとのことで、菩提寺のイチョウはその時の木であるらしい。法然上人といえば浄土宗の開祖にしてえらいお坊さんである。私は冬化粧のイチョウもまたいいかもと思いながら、木の下にあるお地蔵さんに手を合わせて、今日は無事に帰れますようにとお祈りをしたのである。このイチョウについては奈義町の観光ウェブサイトに説明が書かれているので興味がある人はみてみたらいいと思う。
イチョウの木を後に、雪道を歩いていくと、地元の人が雪かきをしていた。声をかけたほうがいいのだろうけど、そこはなんとなく声をかけることなくその場を後にした。
車に乗ってからアクセルを踏むと、発進しないので少し焦る。しかし、そこはどうにか切り抜けて湯の郷へと向かった。あとは適当である。その場でどの温泉に入ろうか決めてタオル一枚購入し、裸で入湯である。結局市営の露天風呂に入ったが、とても気持ちよく、兵庫県か和気から来ていた高齢者の人と少し話をしてゆったりと浸かった。暖かいお湯につかり、すこし外を眺めて体を冷まし、また入る。私はこれだけで幸せになれるのである。近場の旅であったが、気持ちがほっこりした。体もぽかぽかである。そんな感じに一日であった。
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