林病院にて被爆者運動のこれまでと9条の講演を聞く。人権について考えるということ
- 5bookj
- 2 日前
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12月7日に岡山市にある林病院にて、広島被団協の理事佐久間邦彦氏の話を聞きに行ってきた。きっかけはたまたまだが、病院の広報誌を見て、小さな欄に広告が出ていた。それ以前に広島に行ったこともあるし、九州の長崎平和公園と浦上天主堂で被爆マリアを見ていたこともあり、これも何かの機会だと思い聞いてみようと思い立った。
問い合わせ先の社会福祉法人結いに電話で問い合わせたところ、当日に来ていただければOKとのことで予定を入れた。浦上天主堂の被曝からの活動と立ち直りの記録を描いた本を読んでいたし、原爆裁判で有名な三淵嘉子の本も読んでいたから、とりあえず当日行ってみた。
当日会場に着くと、ボランティアらしき人がプラカードをもって立っていた。会場はこちらで、2階になります。私はそう聞いてトコトコと歩いていつもの如く会場へと向かう。途中、病棟内で迷い、入院患者さんが過ごす場を歩き回る。精神病棟と聞くと、何かくらいイメージがあるが意外と明るく、患者さに会釈をした。精神病院の報道では、入院患者の高齢化が進んでおり、身寄りもない、そして社会で独立して生活していくことができない患者が増えていると少し前に見た。東京都内の大規模な病院では問題になているようであるが、少しみただけではわからないことも多いと思う。しかし、東京都の病院とは少し違うように思えた。海外では病棟で患者をみるということをやめていき、社会の中で薬などは飲むのだろうが、街や普通の生活を送っていけるような取り組みもしているらしい。日本でも映画が公開されていたが、てっきり見ることができなかった。それでも改善をしていこうという取り組みがあるのだから、今の日本よりはまともかもしれない。それに一人で病状が悪化した上に、入院もせずに生活保護で生活なんてことにもなるかもしれない。できればと言いたいが、制度を利用することも必要ならば致し方ないと言えるかもしれない。
そんなことを思いつつ、迷った挙句に会場に到着。早く来ていたのか、ほぼ人がいなかった。受付の人に聞くとまだ早いとのこと。それで少し待つことにした。聴衆と思しき人物が二人いたが、あとで少し小耳に聞いたことや、持っていたステッカーらしきものを見ていたのだが、どこかの活動団体に所属している人かなと思った。まあ、それはいいのだが、若い人が意外と少なかったことは少し考えさせられた。てっきり病院の方で近所の高校などで障害者の理解を推進するような出前授業を行なっている活動も広報誌で見ていたので、案外高校生もくるのではないかなどと考えていた。しかし、大体が高齢者で埋め尽くされており、若者(といっても私のようなおじさん)や、点字の読み取り機を使用した若い女性、そして活動家らしき若者(多分30代)くらいの3人くらいであった。まあ、しかし、会が開催される時間には満席となり、少し心配していたことも思い違いであったと思えた。そして人権を考えるイベントであり、障害者のかたがたくさん来場していたことも垣間見えた。開会の挨拶では、盲目の清水氏が排外主義について語り、最近の自民党政治による移民政策の中で、短くいうとポピュリズムが台頭していることを批判し、そうした排外主義は障害を持つ人たちにも差別の目を向けるような方向性になりかねないと述べた。最近報道(ネットニュース)などで見かけるが、外国人に対する排斥運動が盛んであり、政治家でもそうした意見を述べる人物も多々見かけるようになった。確かにルールを守らない外国人移住者、あるいはインバウンドなどに伴うルールを守らない旅客など実際にいることも事実であり、そうした人たちをある程度批判することは私は必要だと思う。ただ、行きすぎた言動や、行動は良くないと私は思う。清水さんはそうしたことについては述べていなかったが、高市政権での政策が障害者にも波及するとの思いであろう。これは私見であるが、最近では地方都市である地元でも多くの外国人労働者を見かけるようになったし、接客などをしている彼らは別段悪さをするような人々には見えない。ただ、一部の人間が事件を起こすとマスコミなども大々的に報道するし、それは犯罪であるから致し方ないと言えばそれまでだろう。これは細かい話になるが、最近では車を購入しているアジア系の海外からの移住者も見かけるし(イメージ的には自転車)だんだんと生活が安定してくれば彼らも落ちつてくるのではないかと思える節を私は考えたりする。右翼のかたからすればとか、ポピュリストと言えばまあ右翼。しかし、その昔大日本帝国時代の戦争中の思想である八紘一宇という考え方。これは国民を扇動するための思想ではあったが、いいとこだけ抜粋すると、「かのかたのお膝元では、国民と言われる人たちは皆平等にあるべき」とかなんとかという考えもあったとか。これもうろ覚えだし、正確なところはまた勉強不足だけれどもいいところは温故知新とも考えればつたえる人に対しては少し言い方を変えてみる。ということも必要かもしれない。
そういうわけで、佐久間邦彦理事長の話を聞いた。
佐久間理事長は被団協でもいわゆるオブザーバー的立場にある団体らしく、成り立ちなどを詳しく聞いていくと、政治的思想や、被団協が立ち上がった時代の流れなどで、分離したり、政治的主張などで別れたりということを繰り返し、複雑な過程を繰り返してきたということをお話しされていた。私たちがイメージするとしたら、最近話題になったノーベル平和賞受賞の日本被団協のイメージ。しかし、目的としてはやはり核兵器の廃絶。あるは禁止条約への批准というところは同じではないかと私は思えた。司会のかたが述べていたが、三団体ある核を否定している団体が以前は別々で著名活動などをしていたが、合同での提出などを行なったと聞くことができた。聞いていた私からすれば、目的を共に達成するというのであれば、それはいいことだろうと思えた。そして、体験について聞くこともできた。私は以前から戦時中の戦争体験をした人から実際に聞いてみたいと思っていたのだが、高校生などはそうした機会も学校などであるだろうが、大人になるとなかなか自分から動かないと聞けることができない。社会人である忙しい人間からすればいい機会であったことは確かである。
さて佐久間さんであるが、被爆地からおおよそ3キロくらいで爆心地からは少し離れている。しかし、屋根は瓦が飛び、ガラスも割れ、家も傾いていたとのことらしい。それでもなんと住むことはできたと述べていた。広島に落とされていた原子爆弾というと有名なリトルボーイ。初期の核兵器ではあるが、街一つ消し飛ぶほどの威力。街には焼け爛れた人々が溢れ、水を求めてその中で死んでいった。35万人いたまちの10万人が死んだことは教科書や、季節の報道番組などでよく知られていることであるが、私が聞いていて思ったのは清水氏が最初に述べていた排外主義につながる差別に対する感覚である。佐久間氏は被爆者ということで認定されていたそうだが、高校の時にクラスの中で氏は公表していたらしい。しかし、凄まじい威力で放射能の被害をもたらした街の中でクラスの中で一人というのは特に気にしていなかったらしい。しかし、ある時期にクラスの半数が被爆者であるということを知った時、少し思うところがあったらしい。氏も排外主義について批判を述べていたが、原爆による放射能被害による差別的な被爆者に対する風評と扱いは存在していたわけであり、彼がクラスの中で感じたことは言えないというか、若しくは、あったことを皆が言えれないという現状ではなかったかと私はなんとなく思うのである。氏の言葉ではないが、漫画家こうの史代の「夕凪の街 桜の国」の中で、被曝した街で、そこにすむ人間の生きているということに対しての違和感が描かれている。人間は感情があり、それにより動くことが普通である。ただ制度だけのためや、保証のために動いてきたわけではないだろと思える。まず感情があり、そして行動に移っていくのだから、やはり当時の生きていた人々の中にあった感情を聞くことができる、あるいは今の我々の世代が生きているうちに少しだけ興味を持つことで違った視点で考えることができるのではないかと思う。まあ、これは私見であり、私ごときがいうことでもないのだが。
被団協の方は被爆者という立場で核廃絶を訴えてきた。そこが結論であるが、しかし、戦争ということが起こることで傷を負い、障害者が生まれ、さらに制度などがしっかりしていなければ差別や切り捨てにあう可能性もある。きょうされんの代表のかたが述べていた。であるから佐久間氏も述べていたように憲法9条を守り、平和であることを守りぬくことが重要であると言えるのだろう。
余談であるが、林病院の創設者は被爆地である広島に当時医療関係者として調査、支援に行っていたということを講演の参加者のかたが、身内のかたから聞いたとのことである。そのことは創設者の方に医療と思想に影響を与え、医療のあり方、あるいは平和への想いということが病院の職員に伝えられたとのことである。そういう意味で、とある病院はいまだに広報誌などでみるが、平和活動などに参加している記事がたまに出ているなとみることがある。これでなぜそのような活動をしているかということも理解できた。小さな記事を頼りに来てみたが、色々と勉強になった出来事であった。そして私はというと、個人的な意見ではあるが、特に影響もないだろうから記しておくが、
「唯一の原爆による被害を受けた我が国日本は建前であっても核を否定し続けなければならない。たとえ、核の傘に隠れているという矛盾した国際状況であっても、それだけは通さなければならない我が国の主張である」と、言えるのではないかと思うのである。ただ、国際的に、使える核などを開発している国もあるし、日本の中にも政府与党に核武装論を述べる国会議員もいる。そうした中で主張を通すことはだんだんと難しくなるかもしれない。これは日本だけで決めれる話ではない。しかし、被団協の主張が通ることを願っている。


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