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佐世保を周り、そこから長崎へ。

  • 執筆者の写真: 5bookj
    5bookj
  • 11月25日
  • 読了時間: 5分

長崎へは高速を使用せず、再び一般道を走る。地図を見て、206号を行くほうが面白そうだと思い道を選ぶ。車は長崎へ向け前進。この時点で走行距離は700キロ前後なのだが、結論からいえば3回給油しただけで地元まで帰れたということ。まあ、そこはさておき、どんどん進む。横目には大村湾を望み、個人的には見たことがない景色が広がる。海沿いにあるカフェや、ポコポコとまんまるな小島。天気もいいし気持ちもいい。途中昔使われていた電波塔があったが、あとで調べたら史跡の一つらしく、これまた写真を撮った。みかんばたけが広がり、その先に巨大な塔が三本立っている。私としては不思議な光景であった。他にも海を眺めるに地形が地元とは違い面白みがあった。どこかで見た風景のようであったが、海岸から中に入り込んだところに橋がかかりその下を潮目がわかるほどの海とそのそばに家が数軒立っている。これは絶景だと思ったが、写真は撮れなかった。あとで調べたら西海橋で、有名どころらしい。まあ見れたからいいのだが。

 長崎へ入ってくると田舎道を走り続ける。その道のそばにちょこちょこと可愛らしい店がちらほら。古着屋さんに、食べ物屋さん。饅頭屋さんもある。三毛猫が寝転がっている店もありなんだかのほほんとした景色。店もわかい人が好みそうな洒落た佇まい。でもここにお客さん来るのかなと、趣味で店をしているのだろうかと思ってしまうくらい人気がない。それではそれで個人的には好きな感じなのだが。まあ、楽しめた。

 そして長崎へと辿り着くと、やはりここも都会である。昔教科書で習ったような地形ですり鉢状である。街へ来た目的は浦上教会と平和公園。着いた時刻ももう夕方だったから夜の平和祈念像を撮影するだけして、明日は被曝マリアを見ようと決めた。

 ホテルにチャックインする前に、港の公園で少し夕陽を眺めた。女神大橋と海をバックに美しい夕陽が雲間から射している。船が停泊し、なんとも神々しい光景。私は少しの間そこでぼんやりと過ごした。妙な言葉や話が流れているような気がしたが、その光景はなんとも私を落ち着かせてくれた。ちなみに停泊していたのは護衛艦で最近何かと話題に登る最新型のF FMであった。それも写真を載せておこう。

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 夜が来て辺りが暗くなる頃に私は宿に着いた。宿は中国人が経営しているらしく、ホテルの一階には料理屋もある。一泊7000円ほどで部屋は広く、ベッドが二つあり、シャワーもアメニティーも揃っていた。着替えなどの入ったリュックを置いて私は平和祈念像を見に行った。

 夜の長崎は明るく、路面電車も走っている。道を歩きながら人とすれ違うが、学生や若者もいる。そして長崎の平和公園へと着いた。テレビや新聞では見たことがある像がライトアップされた道の奥へと佇んでる。私はその像を撮影しようと近くまで行った。原爆についての被害や像のいわれなどが書かれており、私はそれを読んで広島ではないが、ここも第二次世界大戦の悲劇の地だと感じた。北村西望氏が製作したこの像は寄付により作られた。上方を指した指の手は原爆の脅威を示し、水平に広げた手は平和を示しているらしい。柔和な顔は神の愛と仏の慈悲を表しており、平和を願う心像が示している。こうした芸術作品であり、すべての被災者に救いを与えるというテーマ。まさに平和の像と言えるのである。その他にも公園にはソビエト時代に寄付された像や、ブルガリア、イタリア共和国などから象が寄付されており、中には当時の移民で来ていた中国の被爆者とその被害者の慰霊碑もあった。今世界は戦争がどこかで起こり、核の脅威に脅かされている。ましてや平和公園に寄贈された像の中にはソビエト、今で言うロシアや、経済的に成長し軍拡を推し進める中国の碑もある。そうした国はいずれも核保有国で、こうした像を立てたのになぜ覇権主義と軍拡を推し進めるのか? 長崎しかり、福岡しかり。みんな楽しく遊んで暮らしているのにこのような平和が求められる時代にあって戦争などしていいのか。少し疑問に思えた。

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 ホテルに帰るついでに、少し離れていたが中華街へ路面電車で向かう。最近公共交通機関を使用していなかったから時代についていけず。今はクレジットカードで電車に乗れると気づく。以前実験的に取り入れられていたようだが、今ではすっかり普通のことらしい。わからないから駅にいた女の子に質問してクレジットで乗れると気づき。中華街へと向かった。長崎の街並みを路面電車は淡々と進んでいく。横に座った女性が魅力的であったがシャイな私は声もかけず目的地へ。まだ店は空いているのかなと思ったが、数軒空いていて、ちゃんぽん麺を注文し、ビールを飲む。店の名前は確か西湖で、美味しかった。

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 ホテルに戻り、記事を書こうとしたが、色々と話みたいなことをしたら疲れて寝てしまった。さあ、明日は念願の平和記念館へ。本当は五島のキリスト教会も見たかったが予算の都合上諦めた。

 朝になり、私は浦上天主堂へと向かった。教会は丘の上にあり、近所の教会よりもかなり大きい。過去原爆で吹き飛ばされてしまったが、寄付などにより再建され今に至るらしい。少し時間を潰して教会へ入る。ステンドガラスがあり、聖堂には椅子が並んでいる。本当は朝のミサに出たかったが、入り口脇にある被曝マリアを見学。目から涙を流しているようにも見える像は、瓦礫の中から奇跡的に救い出されたらしい。戦争で兵士として戦争に行っていた野口神父により救い出されたとのこと。野口神父はその像を見つけた時喜び満ち溢れていたらしい。悲しい話でもあるが、キリスト教の方であるならばさぞ奇跡と思えただろう。私もしばらくその像を眺めていたが、ありがたみがあると思えた。その教会で販売していた本と聖歌集も一応購入したので、写真を載せておく。

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 浦上天主堂を後に、今度は懐かしの大浦天主堂へ。修学旅行で来て以来だが、大人になるとすこし変わって見える。ちなみに私も罪深い人間の一人だから、一応悩んでいたことを紙に書いて投函しておいた。もしかしたら何か救いでもあるかもしれない。しかし、私はキリスト教徒ではない。それでも神様の救いとはあるのか? あればいいなと思いながらも最終目的地知覧へと向かった。

 
 
 

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