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知覧で遺書を読む人たち

  • 執筆者の写真: 5bookj
    5bookj
  • 11月25日
  • 読了時間: 4分

鹿児島で朝を迎え、紅茶を飲みながら少し休む。知覧特攻平和会館までは鹿児島市からおおよそ40分だ。チェックアウトを済まし、車に乗って市内を走る。朝みた鹿児島の街はなかなかに街で、西郷隆盛の故郷とはこんなところだと考えたりした。

 山道を走り続けると展望台に出て、そこから桜島を眺めて撮影。これが桜島かと思うと遠くまで来たものだと感じた。音楽を奏でる道を走り、山間のまち知覧へ。途中新聞赤旗の看板が。こんなところにも案外あるんだなと思いつつ町へ。

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 念願の会館に着くと早速中へ。途中有名な隊員の逸話や、石原慎太郎の書いた言葉の碑が並んでいて、写真で撮影した。石原慎太郎というと右よりの政治家で有名だったが、遺書を読んでいくとその気持ちもわかる。

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 中に入ると早速映像資料の展示を見る。特攻基地として運用され始めたのは戦時中の後半で、元は普通の軍の飛行場だと知る。1036人に若者がここから飛び立ち、散華した。私は子供の頃に「きけわだつみの声」を映画でみて、すごいなと思えた時期もあったが、大人になるということは戦争で人が死に行くということがどんなことかと理解してしまうことで、ばかな子供であったと今更に考えたが、兵士の遺書を実際に見ていくとさらに悲しい思いを抱いてしまった。全て10代から20代の若者で、最年少は17歳。全ての隊員の写真が並び、私の地元の人間もいるのだなと見て考えたり、朝鮮の人もいるのだなと思いに至る。遺書をそのまま書くことはできないが、大半の若者が父、母に謝る言葉や、妹や弟に向けての言葉が多く。親不孝であると感じていたことである。中には結婚する許嫁に向けて過去に生きるのではなく、君は君の人生を生きてくれと書いているものもあった。その遺書を読んでいた女性は涙を流しながら辛いと呟いていた。私も読める手紙はなるべく読むようにじっくりと展示を見て回った。ただただ死にいく若者の言葉が綴られており。辛いと思うこともあったが、こういう時代であったとしか理由を述べることはできないと思えた。修学旅行の高校生らしき集団が真面目に展示をみてみ回っていたが、何を思うだろうかと、少し興味もあったが、流石に聞くことは控えた。

 鳥濱トメさんの映像も見たが、これまた有名で映画にもなっているから知ってはいたが、実際に再現された食堂も見た。トメさんはさぞ辛かったろうと思えた。

 私個人としては、やはりこうした被人道的な手段は二度と使ってはならないと思えたし、かつての若者の思いというものを大切にしなくてはならないと思えた。会館では隊員のことを英霊と読んでいたが、時代の中で生きてきた人に対して英霊と呼んでもいいのではないかと思えた。国のためというが、昔読んだ本で故郷であると書いていた人もいる。故郷とは郷土であり、父母妹などの家族のことであるし、その友人知人であろうと。つまりは国のためであると言いつつも、その故郷の人たちのために彼らは逝ったのであると私は解釈したい。それで死んだといえば悲しいことではあるが、責任感を持った行動でもあったと捉えたい。今の若者にそれで死ねと言われて死ねる人間はいないだろう。過激派の右翼や左翼というポピュリストなど口だけで人を扇動し、分断を煽るだけの人間にしか思えない。彼らの生きてきたことを無駄にしないというならば、今の若者に伝えていくことくらいだろう。その中からもしかしたら世の中を良くする人も現れるかもしれない。ありきたりだがそんなことしか思い浮かばない。戦争とは政治の最終手段と言われているが、できれば行うものではない。ただ今のところ備えは必要だし、それがなくなることはないように思える。ロシア然り、中国然りと。いいかげん自分の国でやっていけるのだから覇権主義などやめるべきだと思う。中東ではイスラエルがガザで攻撃を繰り返している。ホロコーストの悲劇を体験した人々が、なぜそのようなことを行えるのか。歴史か学んだことをいかに遂行していくか。これからは誰がその理想を行うか。考えるは今であろうと私は思う。

 

 知覧を後に

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 平和会館を後に少し小さなお社を見た。トメさんの食堂の近くで、川沿いに沿って色づいた木々も見える。水は澄んでおり、鯉も泳いいでる。昔作られた小さなダムのようなものがある。川の名前は麗川という。女性が一人お社の椅子に座ってぼんやりとしていたが、私はというと写真を撮って川を少し眺めてみた。ここも知覧で、悲しいことばかりでもないなと思った。まあ、今回はそんな感じであった。私はというとそのまま鹿児島で昼ごはんを食べて地元へと帰った。途中桜島を見たりしたが、九州はいいところであった。

 

 総行程は1930㎞。五日間の長旅であった。

 

終わり。

 
 
 

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